こんにちは。
タケゾーです。
今更ですが映画『打ち上げ花火、下から見るか 横から見るか?』を観てきました。
プロジェクトが忙しくなかなか観にいくことができないでいましたが、ようやく観にいくことができました。
上映回数も1日1回とそろそろ入れ替えになりそうで今観に行っておかないと劇場じゃ観られない!と思い平日の夜の回でしたがそれでも5人くらいは観に来ていました。
上映前は色々と期待していたのですが、評判については薄っすらと方々から聞こえてきたりしていましたが、それでも「岩井好き」なので観にいくことにしました。
で、映画を観た率直な感想としては
「原作好きからしたらとても残念だった」
としか言いようがない。
多分、”原作好き過ぎフィルター”でしか観ることが出来なかったためだろう。
設定は多少違えど序盤は一応原作に準えた構成になっていて、最初の”if”までは(と言っても原作は最初のifしかないのだが)原作とのズレを補完しつつもなんとか観る事ができた。
ところがオリジナルエピソードになってからが「?」なのだ。
なんか不思議な玉(もしも玉?フィラメントが”if”になってるし...)投げつけてタイムリープしてるし、なんか不思議な世界にいっちゃうし、なんか突然歌い出すし、原作とは違うだろうなとは思っていたけど正直この展開にはついていけなかった。
ifの世界は望んで作られた世界なんだと思うけど妄想ファンタジーな演出には違和感を覚える。
妄想の世界から戻ってきてもなんでまた妄想の世界で繰り返すのかがよく分からない。
ん?結局妄想世界から戻った時はどこに戻ったんだ?
最期にデカイのがはじけた後の破片で見せられたのは色々な”if”な世界のハズだけど、どれも妄想もしくは選ばれなかった選択肢なのか?
そうすると最期に手にした破片が選んだ”if”だったのか?
最期に典道が学校に来てなかったのは?
原作と違って本当にナズナの元に行ってしまったのか?
でも中学生じゃやっぱり無理なのでは?
もしも玉とお父さんとかのエピソードは別に語らなくて良かったのでは?
他にもいろいろあったがとにかく残念というか原作とのギャップの違和感で純粋に楽しむことが出来なかった。
まぁ、でも仕方がないことだ。
原作を超えることはなかなか難しいだろうし、超えられても困る。
原作のままのリメイクじゃ原作観れば済むことなのでリメイクする意味がないし、そもそも原作はドラマ枠で1時間なのに対してこっちは1時間半の映画にしなければならない。
原作を知らない人が楽しめる作品となるとやはり違った切り口で再構成する必要が出てくる。
であれば序盤の原作を準えるところもむしろもっと壊して別の作品にした方が良かったのでは?とも思えてくる。
この監督の作品が好きな人が観たらもしかしたら違う意見や楽しみ方があるのかもしれない。
原作は(というか岩井作品は)なんでもない日常をうまく切り取って見せているところが実に面白いのだ。
「花火を横から見たら丸いのか?平べったいのか?」と言うどうでもよい話があって、ナズナは親の離婚で夏休みが終わったら引越ししなければならない、反抗したところで現実は変えられないの分かっているからせめてなにか最後にという思いで行動する。
男の子たちは能天気なもので女の子に誘われても遊びを取ってしまう。
だけどちょっとだけ背伸びもしたくなる。
そんな思春期の入り口をうまく描いているのだ。
ナズナの表情はあどけなさが残る顔、現状どうすることもできない苛立ち、憂いを帯びた表情、決意した顔、そして大人の顔を垣間見せる表情。
「16歳に見える?」
「次会えるの楽しみだね」
の時の表情は本当に素晴らしい。
思い出しただけも鳥肌がたつ。
実年齢とのギャップはアニメでは絵描ききれないところなのか?
今度久しぶりに原作を観てみよう...