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プログラムやゲーム、旅、愛する家族について綴っていきます。

【記憶のゴミ箱】MZ-80Cと将来の夢

あの「MZ-80C」が手のひらサイズで復活!?

 

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ハル研究所から「PasoconMini MZ-80C」という新商品が発売されるとのニュースをネットで見かけた。

 

www.pcmini.jp

 

流石に手のひらサイズでキーボードもディスプレイも、そもそもテープレコーダーもどうするんだ?と思いきや、中身は「Raspberry Pi」で、USBやら画面出力用のHMDIを備えているらしい…

 

 

それでも、これを見ると欲しくなってしまう。

 

 

 

もう30年以上前の話。

 

当時、小学5年生だったろうか。

父親がMZ-80Cを家に持って帰って来た。

買ったかどうかは不明ではあったが、とにかく家にマイコンがやって来た。

 

銀色のカバーを外すと漂う電子機器の独特な匂い。

ブラウン管、キーボード、テープレコーダーが一体型のマイコン

臙脂色、黒、シルバーの筐体。

電源を入れるとディスプレイに表示される緑一色のフォント。

テープレコーダーで数分読み込ませてようやくBASICの入力が行えるようになる。

 

 

とにかく興奮したことは覚えてる。

小学生で理解出来る範囲は限られているので最低限のことだけ教えてもらい、父親のいない平日でも勝手に起動して遊んでいたものだ。

 

ゲームもいくつかあって遊んだりしていた。

汚染されていく建物の中から汚染を食い止めるために壁の隙間に防御壁を埋めつつ、倒れている人を救い出すゲームや、着陸用のロケットを月面に着陸させるゲーム、左右に揺れるバルーンを障害物を避けながらゴールに導くゲームなど、ASCIIで表現されたゲーム画面にくらいついて遊んでいた。

 

そのうちBASICでプログラムも始め、文法も理解しないまま、雑誌のプログラムを入力しては動かない、入力間違いを探してようやく動いたを繰り返していた。

それだけでも大喜びだった。

 

 

それに飽き足らず自分で作るようになり(自分で考えて作ると言ってもPRINT、GOTOだけの簡単なテキストアドベンチャーだった。たいていは途中で作るのをやめてしまっていたが…)作っては友達に見せたりしていた。

 

そんな小学生だったせいか、小学校の卒業文集の「将来の夢」にはこうかいてあった。

 

プログラマー

サラリーマン

 

プログラマーという言葉を知っていたのか分からないがプログラムをする人になりたいと言うことで書いたのだろうか?

それからサラリーマン…

なにかカッコイイものと勘違いでもしていたのか?それとも他に夢もなく書いていたのか?

 

とにかく将来の夢にはこんなこと書いていた。(ハズ)

 

中学にあがるとMSXを持ってる友達の家に行ってはBASICでプログラムをしていたがすぐにゲームに夢中になってしまい、その後はTRPGPCエンジンと移っていき、プログラミングはしなくなっていった。

 

高校になると友達の家でPC98でたまにゲームは遊んでいたが、プログラミングからは遠退いて行った。

 

専門に進みロボット工学の様な学科でハードもソフトも学ぶ中で再びプログラミングに出会い、プログラムで作る楽しさ、表現できるものはやはりゲームだと思い、就職はゲーム業界に進んだ。

 

小学生の時に書いた将来の夢が2つとも叶ってしまった。

 

その後20年ゲーム業界にいるがゲームプログラマーやらゲームディレクターとしていくつものゲームを作ってきた。

 

ただ、最近は仕事になりすぎている感がある。

もちろん作ることは楽しいがどこか仕事としてこなしている部分があるような気がする。

 

MZ-80Cの記事を読んで遠い昔の忘れていた熱い気持ちを思い出させてくれた。

現状に満足せずに何か新しいことを始めてみよう。

 

 

 

あのMZ-80Cはまだ実家に眠っているだろうか。

年に一度帰るかどうかだが、今度実家に帰る機会があったら探してみるか。